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2012年定例会の報告

第3回定例会
「北イタリア山岳耐久レースを踏破!−中野友喜先生の話−」

イタリア北西のヴァッレ・ダオスタ州で開催される超長距離レース「トル・デ・ジアン」に昨年参加され、完走された中野友喜先生に、ヨーロッパが誇る名峰に囲まれるこの州を一周するレースとはどのようなものだったのかお聞きしたいと企画しました。

レースがどれほど過酷なものだったのかなど、レースに参加しなければ知ることのできないことや、レースで使用した道具などもお持ちいただき、わかりやすくお話いただきました。 後日、もう少し詳しく掲載させていただきます。お楽しみに!

第2回定例会
「イタリアの学生と友だちになろう!!−ヴェネツィア大学留学生との交流会」


ヴェネツィア大学から10人のイタリア人学生が、高知で約3ヵ月間の留学生活送っています。

そんな彼らと楽しい一時を過ごし、もっとイタリアに触れ、日本(高知)を知ってもらおうと開催しました。

  「初めての定例会参加体験」  横山 修


 2007年からイタリア同好会・高知に籍を置かせていただいていますが、定例会には今まで参加したことがなく、イタリア語初級クラスでお世話になった、ヴェネツィア大学留学生たちとの交流会に、今回初めて参加しました。

 私は2009年8月に関空→ローマ→パレルモ→ヴェネツィア→ローマ→関空というコースでイタリア旅行をしました。当時、イタリア語初級クラスで学習中でしたが、旅行中はBuongiorno!Grazie!Arrivederci!の3つくらいしか使うことはなかったと思います。この旅行ではローマ到着時にスーツケースが紛失するという大きなトラブルがあったものの、歴史的な遺産、美術品、そして様々な郷土料理を堪能してきました。

 『イタリアの学生と友だちになろう!!』−ヴェネツィア大学留学生との交流会−の案内をもらったとき、水上バスに乗って軽い船酔いになったことや、ワインと一緒にイカスミのスパゲッティをお腹いっぱい流し込んだことを思い出して、イタリア料理をいただきながらヴェネツィア大学の皆さんと話すのも楽しいかなという思いが、他に知っている人が少ないことから参加に消極的だった気持ちを上回ったのでした。

 定例会はイタリア国歌の合唱から始まりました。参加留学生によるカ・フォスカリ大学紹介のプレゼンは流暢な日本語で行われ、発表の準備に多くの時間をかけたことがうかがわれる質の高いものでした。

 発表が終わると、数々の料理とワインをいただきながら、留学生たちと料理、趣味、高知での生活やその他、取り留めもなくおしゃべりを楽しみました。他にも、留学生と日本人参加者を含むいくつかのグループが対抗でジェスチャーゲームをしたり、よさこい鳴子おどりを一緒に踊ったりと、盛り沢山のイベントが企画されていました。あと、留学生たちにはべく杯を使った、土佐の酒宴を楽しむ文化を体験してもらいました。(ご想像どおり、後で辛い思いをした人もいたようです。)

 大いに盛り上がった定例会は集合写真の撮影をして幕を閉じました。留学生たちはもちろん、面識のなかった会員さんたちとも交流を深め、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。料理についても、味、量ともに十分満足のいくものでした。イタリア国歌を練習して、次回以降も是非参加させていただきます。

 最後に、今回の定例会のためにお世話くださった多くの方々に感謝申し上げ、報告とさせていただきます。

第1回定例会
「イタリア国歌を覚えよう!」

  「幽霊会員も地に足が着いた夜」  岩村就司

Fratelli~d'Italia~ リタ〜リア〜セデ〜スタ・・・何と、帰りのタクシーの中で自然にイタリア国家を口ずさんでいる私がいるでは有りませんか!音痴で、滅多に人前で歌ったりしない私ですから、自分で驚いてしまいました。あながちラヴィータさんの高級ワインの所為ばかりではないようです。その証拠に素面の今でも脳裏に浮かぶのですから。

2012年第一回総会・定例会は、やっぱり、イタリアに魂を奪われるひと時となったのでした。「イタリア料理を”食べて”、国歌を”歌って” イタリアにもっと”恋”しよう!」という松岡さ んの、いや森岡さんの?策略にまんまと惹き込まれ、イタリア恋慕の情の焼けぼっくが燻り出したかのようです。それにしても口当たりの素敵な歌では有りませんか!勿論、提唱者森岡さんの筋金入りの歌唱指導に攻略された事は明らかですが・・・それ以上に、石川先,生・森岡さんの国歌の因って来る所、戦乱を乗り越えたイタリアの社会的背景等の解説が、国歌への共感・イタリア人の国を想い、愛する人を想う心情への共感を呼び、心に残ったようです。

国歌については、信条や歴史観などによって必ずしも見識は一様では無いですね。しかし、排他的でない愛国心は美しい、と私は思うのです。早い話、大相撲の白鵬が千秋楽に起立して日本人と共に(あ、彼も日本人?)君が代を歌っている姿に強い親しみを感じるのは私だけではないのでは?また、私はサッカー観戦が趣味ですが、これまでイタリアの国歌に関心はほとんど有りませんでした。しかし、事情は一変しました。これからは、テレビの前で、きっと口ずさむでしょう。仮に、もし、対戦する日本の選手が、イタリア選手が歌うイタリア国歌をさりげなく口ずさんだら・・・!また、その逆も!きっとそこに、何か心の琴線に触れ合うものが生まれるに違いないと思うのは大袈裟でしょうか?スポーツの国際試合でそれが一つのマナーにでも出来れば・・・?国際親善もこんなささやかな実行なら出来そうだと勝手に納得しています。

実は、私はこの2年以上?イタリア同好会の幽霊会員?でした(会費だけは忘れないようにし、BUONGIORNOは楽しみに読んでいました が。)偶々、当日は都合が付き、幽霊の?足を伸ば して・・・会場に入る瞬間!何と、かつて一緒に仕事をしていたNHKニュースデスクの北村宗範さんにばったり!忽ち話が弾みました。彼は、イタリア同好会のいわば後輩ですが、イタリア語は遙かに先輩で石川学級の生徒とか・・・。その他、勿論宮地さん森岡さんや石川先生、懐かしい方々にもお会い出来ましたが、中内初代会長や坂本昌三郎さんなどのお顔が見えなかったのは寂しい事でした。可能なら、是非幽霊会員?らしい方にも再会したいと強く感じたことでした。思えば、発足した頃から、この全国的にも珍しいイタリア同好会に入会。それも大学の先輩中内光昭元高知大学学長のお誘いで参加しました。当時、NHKのニュースキャスターをしていましたので、高知の著名な文化人や学者、経営者、若い方々、多分野の方々などからイタリアの事ばかりでなく楽しい話が聞けるので、何より貴重な場でした。残念ながら、私が高齢なのに多忙で、おまけに耳を手術し聴力に不足がある事もあり、失礼していた間にメンバーが少し変わったようです。しかし又、新たな方々の新鮮なお話も伺えると期待を新たにしていますので、改めてまた仲間にお願いします。尚、イタリア同好会と他の国際親善の会の共催の会とかの試みが、或いは、広い視野での収穫も期待できるのでは?と国歌の関連で思った事でした。ともあれ、料理と国歌の1夜は大満足でした。お世話下さった皆様に感謝、感謝です。長い駄文となり恐縮です。皆様との再会を楽しみにしつつ。

2011年定例会の報告

2011年第3回定例会
芋ほり体験で交流会


2011年第3回定例会「芋ほり体験で交流会」
いも掘りならず!いも喰いサンデー!!

松岡さんからいも掘りに行きませんかと誘われた。いも掘り?。久しくいも掘りなんかしたことはない。子供の頃、そう私が小学生の頃、ジョン万次郎の出身地で有名になった土佐清水市中の浜の私の実家の段々畑でいも掘りをした頃の記憶がよみがえった。今から50年くらいも前だから、およそ半世紀もの時が過ぎている。



最近は、休日はテレビを見てゴロゴロしているだけだから、いも掘りもいいかと思い、参加すると返事をした。

さあ、10月22日(土)いも掘りの日がやって来た。しかし、天候は大荒れだった。朝起きてテレビをつけると、大雨注意報が出ていた。でも、中止の連絡が来ないので、とりあえずいも掘りの準備をして恐る々高知大学農学部を目指して車を走らせた。

集合場所がすぐにわからなかったが、何とか待ち合わせ場所にたどり着いた。そのうち、参加予定メンバー全員が集まった。大雨でも来る情熱に内心ビックリした。いも掘りは天気次第だが、肝心の天気が思わしくなく、そのうちどしゃぶりになった。私は、心の中で描いていたいも掘りの風景が雨しずくで流されていく思いがした。

農学部の先生が、応援に来てくださっていて、せっかくだからと言って、ビニールハウスの見学をすることになった。トマトのおいしい栽培方法やら、いろいろお話をうかがい大変勉強になった。でも、やっぱり天気は回復しなかったので、急遽、事前に収穫していたイモやら、幹事の皆さんが用意してくださった材料でバーベキューをすることになった。ありがたいことに屋根のある建物で、急ごしらえのテーブル、イスをかまえてバーベキューが始まった。

いも掘りならず、いも喰いのゴングが鳴った。雨足を聞きながら、ときどきヒューッと吹き抜ける風を感じながらも楽しいひとときを、イタリア同好会のメンバーで過ごせたことは、忘れられない思い出のひとつとなった。

みかん狩りもできて、お腹も満足できたいも掘りサタデーだった。家に帰って来て、女房が聞いた。「今日はどうだった?」、「うん、豪快な雨の中でのバーベキューが良かった」と私。屋根のある建物で、やり過ごせたというか、いも掘りを決行したイタリア同好会のメンバーの勇気に、女房は感心していた。

私は、昼風呂に入り、風呂から出てビールをグイッとやった。これが一番の今日の褒美となった。いも掘りに行ってよかったと素直に感じながら昼寝をした。

2011年第2回定例会
あなたにイタリア通の称号を!-第1回イタリア検定-
〜イタリア半可通〜


先日この会の定例会で「イタリア通」の認定証をいただいた。出席された方々には、ほぼ行き渡っていたようであるが、私の場合、果たしてその資格があるのかと認定証を手にしながらイタリアとの関わりを振り返ってみた。

そのイタリアに最初に心が動いたのは十代のころ読んだゲーテの詩、ミニヨンの歌に出会った時だったように思う。

「君よ知るや南の国」

レモンの木は花咲き
 くらき林の中に
黄金色したる柑子は
 枝もたわわに実り
青き晴れたる空より
 しづやかに風吹き、
ミルテの木はしづかに
 ラウレルの木は高く
雲にそびえて立てる国や 彼方へ
 君とともにゆかまし

森鴎外訳のこの有名な一節は、人のあこがれという感情をとても洗練された形で表現されていてさすがに文豪の作品だと感心した覚えがある。そのときの気分はたぶん私の心に長い間潜んでいたのだろう。その後、二度イタリアの地を踏んだ。 最初は、パリ、ローマ、アテネと本当に駆け足で縦走したときと、もう一回は定年退職後の7年前、妻と二人で北イタリアを周遊するツアーに参加したときである。二度ともまだイタリア語はまったく理解できない時のことで旅先の地元の人との会話は、添乗員の通訳と、それがかなわないときは私の拙い英語でなんとか切り抜けた覚えがあ る。縁あって今、当会のイタリア語の初級クラスで学ばせてもらっているが、元来の記憶力の悪さに加えて多分加齢による記憶障害も加わって勉強の能率はとても悪い。 中でもネイティブの発音を聞き取ることが最も難しいと感じている。それでも、NHKの番組「百歳バンザイ」の中で高齢の女性の英語学習を取り上げ、語学は脳の衰えを予防できると紹介していたので、そんな効用もあるのだろうと懲りもせずイタリア語の勉強を続けているところだ。

その言葉が使われているイタリアの地で私の耳に鮮明に残っているのはカンツォーネだ。 ヴェネツィアのゴンドラの中で聞いたゴンドリエーレの高らかな歌声やツアーの仲間たちと一緒にローマのレストランで聞いたイタリア民謡は一生忘れられない思い出だろう。 イタリアで歌を聴いたときにはわからなかったことがイタリア語を勉強してみて少しわかってきた。ローマのレストランで聞いた歌の中に有名な「アリベデルチ・ローマ」があった。 このアリベデルチ、1960年にローマで行われたオリンピックの閉会式で東京オリンピックへの橋渡しの言葉として電光掲示板に映し出されたような記憶がある。 私はこの言葉をその発音のまま(つまりカタカナのまま)覚えていたが、今ではa+riveder(e)+ci(私たちまた会いましょう)に分解でき、リアルな言葉として実感できる。うまくイタリア語が使える人には「当たり前じゃないか」と言われそうだが、私には言葉を学ぶ喜びの一つとなっている。

ところで、先日NHKのBSプレミアムの番組で「驚異の歌声〜イタリア編〜南へ北へ」を視聴する機会があった。番組ではイタリア南部にあるマリーナ・ディ・サン・ロレンツォという町でリッジターナと いう独特の形式の歌が紹介されていた。 歌の形式は1700年代に誕生したそうだが、驚いたのはその歌い手が93歳という高齢の男性だっただけではない。実に耳をつんざくような大声で自分の気持ちを即興の歌にして伝えたい相手に向かって歌いかけるのである。番組で紹介されたシーンはヴィンチェント・カラブレーゼという93歳のおじいさんが知り合いのヴァレンティノ(多分50歳前後の男性)の家を訪ねたときの情景だ。このおじいさん、伴奏のアコーディオン奏者を従えて大声で歌う。

♪“ヴァレンティノ、僕は君を大切に思うよ。
  君を訪ねるために かなり遠くから来たんだ……”

しばらくしてヴァレンティノが門を開けおじいさんを抱擁して歌い返すのだ。

♪“ようこそ、ヴィンチェント・カラブレーゼ、
  あなたに会った瞬間、僕はうれしくなる……”

と続き、しばらく挨拶の気持ちを大声で歌いあうのだ。そして家に入り、テーブルを囲んで食べては飲み、ギター演奏も入って歌声が続く。もちろん暗い言葉など一言も出てきはしない。ほめ合い、称えあう言葉が延々と歌い繋がれてゆくのだ。「一体、何なんだ。これは。」と私にはカルチャーショックだった。南イタリアのまぶしすぎる陽光のもとでこの人たちには影が見えない。影がないのは日本では幽霊か、お化けである。一緒に番組を見た妻が「この人たちは長生きが出来そうね。」と言った。そう、この地ではそのおじいさんの100歳の誕生日にもその大きな歌声が響いていそうだ。 何時になるかはわからないが、次のイタリア旅行では南イタリアの陽光と歌声に思い切り触れてみたいと思っている。

2011年第1回定例会
ピザを食らう会 開催!



2011年第1回定例会(2月17日)は何とイタリア同好会始まって以来初の「ピザを食らう会」である。イタリアといえばピザ、ピザといえばイタリアである。いつもながら元気いっぱいプロ顔負けの事務局特製のメニューを見るとマルゲリータ、マリナーラ、クワットロ・フォルマッジの三つが並んでいる。イタリアのピザ屋に入って、ピザを注文すると、直径30センチほどのピザがドーンと出てくる。これが一人前である。全部平らげると、十二分以上に満腹となる。だから、三つも来たら大変だ。などと思っていると、出てきたのは、八分の一ほどのひとかけらが三つである。要するに、ピザをプリモとして、これに前菜とセコンドとデザートが付くフルコースである。

会はまずイタリアビールの定番であるモレッティの小瓶で乾杯から始まる。乾杯の音頭はなんと小生に指名である。これまた、イタリア同好会始まって以来のできごとである。「イタリア同好会の今後の発展を祝して...」などと無難にこなす。ところで、モレッティといえば思い出すのである。三年ほど前、サレルノの海岸通りのベンチに腰掛けて、左手に扇形のピザ、右手にモレッティの小瓶をもって地中海の水平線に沈む夕日を眺めていたのを。といって何か物思いにふけっていたのではない。単にこのスタイルに興味があっただけであるが。

飲み物はもちろんビールだけではない。白ワインに赤ワイン、そして最後はリモンチェッロ・アマルフィーである。アマルフィーのレモンはきれいな紡錘形の物ではなく、大きくていびつな形をしている。これに砂糖とアルコールを加えて造った飲み物がリモンチェッロである。アルコール度数は相当に強い。甘さにごまかされて一気に飲んだりすると、頭がくらくらする。

イタリア同好会の定例会は単なるお食事会ではない。楽しみと同時にためになる各種趣向が準備されている。まず、店長による「ピザのお話」。ピザの歴史からピザの作り方まで聞かせていただく。ピザ生地を作るには7時間も寝かせて発酵させるそうである。このあたりが素人の作るピザと玄人の作るピザとの違いが現れるところか。素人が作るピザ生地は寝かし方が足りないからどうしても薄焼きのようになってしまう。ここでうっかり「薄焼き」などという言葉を使ってしまった。もしかしたら小生は薄焼き世代かもしれないので、解説しておこう。小麦粉に膨らし粉(重曹)を混ぜたのを水に溶いてフライパンに薄く延ばして焼いただけの、幼少期によくおやつに出され、自分でも作ったことのある食べ物である。

さて趣向その二はピザにまつわるクイズである。「ナポリ風ピザを作るのに使わないものは次のうちのどれか:水、塩、オリーブオイル」。このような三択問題は消去法で考えれば、たいてい当たる。とはいえ、ビールにワイン、リモンチェッロの入った頭ではなかなかの難問となる。

アルコールも十分に入り、宴たけなわになると、人々は自分の席を離れフラフラと会場内をめぐりはじめる。今回集まった人たちは30人ほど。毎回来る人もいれば、たまにしか来ない人もいる。老若男女、設立当初からの会員もいれば、最近会員になった人もいる。ふと見ると、ここ何年参加していなかった人が来ている。寄って行って声をかけてみると、「最近はめっきり耳が遠くなって...」「イヤー、私もおんなじで...」などという会話になる。イタリア同好会はイタリアに興味があるという一点だけで集まった人たちが作った会で、職業、年齢、性別もさまざまで、楽しい会話で盛り上がる。

こうして、第1回定例会の夜は更けて、元気いっぱい弁舌さわやかな副会長による閉会の辞となる。実は最初に土佐の赤牛の異名を持つ同好会会長による開会の辞があったではずであるが、遅刻常習犯の小生は聞き漏らし、誠に申し訳なくもここに報告できないのである(平にご容赦)。


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