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駐大阪イタリア総領事マルコ・プレンチぺ氏の来高
2024年4月10日

Toshi・森岡(会長)

4月10日、高知県の招聘により、マルコ・プレンチぺ駐大阪イタリア総領事が来高されました。高知県のご配慮で、イタリア同好会・高知との昼食会をスケジュールに組み込んでいただき、正午過ぎから約50分間、私と北村副会長、宮地事務局長の3名が、レストラン ラ・ヴィータで昼食をご一緒しました。当初、石川副会長も出席予定でしたが、残念ながら所要のため欠席となりました。

来高されたのは、総領事と通訳の中谷陽子上級広報官のお二人です。総領事はとても気さくな方で、私たちも緊張することなく、とてもリラックスして楽しくお話をすることができました。高知県から送られてきたスケジュールでは、夜大阪にお帰りになるまで昼食以外は食事をする時間は取られていませんでした。ですので、私たちは話をすることより、まずは総領事に昼食をしっかり召し上がっていただくことをメインに考え、直ぐに食事をしていただけるようにレストラン特製のお弁当を用意させていただきました。それと、私たちのことを少しでも知っていただけるように、大まかな活動内容と活動状況の写真を記載したミニパンフレットを用意してお渡しすることにしました。結果、総領事はお弁当を完食され(見事な箸さばきでもって)、またパンフレットも見ていただけたのでした。

総領事はボローニャ大学を卒業されており、私もボローニャに留学して声楽を学んだことから、ボローニャという共通の話題でまずは話が進みました。パンフレットに、ストラーチェ前大使やベネデッティ現大使と一緒の写真が写っていることから、駐日イタリア大使館と同好会の関係についての質問があり、以前より交流があることを説明させていただきました。また10年ほど前に全国の日伊協会を大阪の総領事館に招いて会合をしたことがあること、その時高知も参加したことをご存知でした。

ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学の学生がほぼ毎年高知に短期留学してくることは初めて知られたようで、私たちの会が毎回学生の歓迎会を開催して、またイタリア会話教室でも交流をしていることを知っていただきました。私たちの会が創立30年となり、宮地事務局長の父上が、このレストラン及びビルを建て、そして会の創立の中心人物であったことをお話しました。宮地事務局長から「高知の人間は宵越しのお金は持たない」との土佐人気質の説明があり、それに対して総領事から、今祖母のことを思い出したと、次のようなエピソードが語られました。自分の祖母は節約家だったが、晩年お金を結構浪費するようになった。それを心配した家族が祖母に注意すると、彼女は「私は天国での金持ちでいたくないのよ」と答えたそうです。昼食会を締めるに相応しい、イタリアのユーモアと人生訓に富む話をしていただけました。

食後は全員エスプレッソ・ドッピオを注文。そして総領事がそれを口にされた瞬間驚いた表情をされました。 私はどうしたのだろうと一瞬心配したのですが、「今まで日本で飲んだカッフェで1番美味しい」と総領事がおっしゃってくださったのでした。ラ・ヴィータさん、ありがとうございました。そして、おめでとうございます。

食後、ビルの6階に移動して、絹谷幸二画伯の巨大絵画の前で記念写真を撮りました。帰り際に、私の方から高知のお土産として地酒をお渡ししたのですが、逆に総領事からもイタリアのスプマンテをお土産にいただきました。イタリアを代表するスプマンテ・メーカーの「フェッラーリ・オマージュ」という銘柄で、それはフェッラーリ社が日本とイタリアの友好を記念して日本にだけ特別に販売しているボトルです。マルコ・プレンチぺ総領事の日本、そして高知に対する気持ちが込められたプレゼントとして、ありがたく頂戴いたしました。


マルコ・プレンチぺ総領事・通訳の中谷さんと一緒に

フェッラーリオマージュ

レオナルド・ダ・ヴィンチ 没後500年記念
マッシモ・マルケーゼ リュート・リサイタル
2019年7月10日(水) 19:00〜, Tiacホール(高知市上町, 土佐情報経理専門学校3F)

森岡俊厚(会長)

世界的なリュート奏者のマッシモ・マルケーゼ氏によるリュート・リサイタルが当会協力により先日高知市で開催されました。

今年はダ・ヴィンチ没後500年になるのを記念して、イタリア政府が中心となって世界中で記念行事が開催されています。日本でもイタリア文化会館(イタリア政府の関連機関でイタリア文化を日本で広めることを目的とした団体)が中心となって色々な行事を開催していますが、このリュート演奏会もその一つです。

4月、私と当会サポート会員のパオロ・マッダレーナ氏が駐日イタリア大使館の会議に出席した際、イタリア文化会館・大阪のステファノ・フォッサーティ館長より高知での演奏会開催の協力依頼がありました。

本件がダ・ヴィンチ没後500年のイタリア政府関連の記念行事であること、演奏会開催が大阪・福岡のみ(東京はレクチャー形式)と少なく、また高知での本格的なリュート演奏会は極めて珍しく広く県民の皆さんにも聴いていただきたい等を勘案、当会が協力して開催することとなりました。 またせっかくの機会なので、地元の子供たちにも貴重な演奏を聴かせてイタリアの音楽を少しでも体験してもらうことも企画しました。

当日演奏会に先立ち、今年4月に開校した「とさ自由学校(いの町勝賀瀬)」を訪問。 午後の約1時間、幼稚園、小学生の子供たち約40人を前に演奏やお話や質問を受けたりして、楽しく交流をはかることができました。




夜の演奏会には雨天にもかかわらず、事前予約をいただいた115名を上回る予想外の138名もの方が来場くださいました。 用意したプログラムは無くなり、会場の席も足りなくなって、急きょ学校の教室から椅子を運んで対応する等の混乱で、演奏開始が10分ほど遅れるというハプニングはありましたが、超満席のもと演奏会は無事に終了できました。





全曲通して演奏されたのでどれがダ・ヴィンチの曲なのか分からなかったのが残念でしたが、ただ、あのルネッサンス時代のメディチ家などの貴族も聴いたであろう曲を古楽器リュートの優雅な調べで堪能できた夜でした。

「豪華客船MSCスプレンディダ 高知へ 2018年5月」

新谷 茂

イタリア同好会メンバー数人で、5月13日(日)の午後、高知新港に寄港していた豪華客船「MSCスプ レンディダ(全長333メートル、乗客定員4,363人)」に見学へ行って来ました。

乗船の際には、パスポートの提出を求められるなど、厳重な検査でした。船が岸壁を少しでも離れると そこは、外国だとの説明に、そうなんやと変に納得しました。

まあ、ビックリしたのは、すごく豪華だったこと。提供されるイタリア料理のピザは日本一とか、食べて納得。 また、船のど真ん中に、シースルーのエレベータやら、カジノ、プール、映画館、ジム、レストランなどいたれり 尽くせりの施設。

こりやー、まっこと仕事ばっかりせんで、ちったー船旅を楽しまな損ぜよという気分にしていただいた ハッピーな一日となりました。まったくもって人生観が変わりました。








講演会へ行ってきました  2016年5月8日

北村香奈江


講演中の陣内先生
「小さなまちの底力、高知は日本のイタリアだ!〜風土と食と建築と〜」と題した講演と街歩きのワークショップに参加してきました。 主催は「さかわオーガニック&エコロジーラボラトリー」で講演会場は牧野富太郎博士も学んだという、佐川町の名教館。講師はブラタモリの出演でも有名な法政大学デザイン工学部の陣内秀信先生。この30年来学生さん達と共にイタリアの色々な都市に赴いて研究をされたイタリアの街づくりと照らし合わせての興味深い講演でした。

日本の地域社会では少子高齢化が深刻化していますが、イタリアでも1950年代からの高度成長により山間部の衰退、高齢化が問題になっていました。その対策としてテリトリオと呼ばれる地域社会が共同するしくみを作って食や宿泊施設を提供して地域に人を呼び、集める取り組みにを行うことにより小さな街・村を再生させていったということでした。

紹介された、ヴェネツィアの近代文明が否定した都市の複雑さ、トスカーナのオルチャ川流域の世界遺産となった田園風景、アマルフィの片方の足は漁につけ、片方の足はブドウ畑につける、という山と海をつなぐsentiero(小道)、南部の封建的なイメージは一方では都市と農村の距離が近く、オリーブオイルに代表される豊かな産物により注目されているプーリアなどの例示は、イタリアの過疎の村の再生を学ぶ、ということだけではなく、海と山が面積の大部分を占める高知県にも合い通じるものがあるように思えました。


街歩きに出発

陣内先生によると
まるでローマ階段のような
日本のお寺の階段
午後のワークショップでは、佐川町の職員さんの説明に先生のコメントを交えながら街歩きを行いましたが、青源寺の階段がまるでローマのカンピドーリオの丘の階段のようだ、とか、石垣がイタリアの城壁のようだ、という先生の解説に佐川町とイタリアの旧い町並みが重なり、人間の生活には異なった様式の中にも意外な共通点があるのだな、と発見しました。


日本でも発見、
カナル渡し
また、ヴェネツィアなどでよく見られる運河に渡して家に入る為の橋を学生さんが「カナル(運河)渡し」と命名したとのことですが、佐川町の民家でも少しかさ上げした家に入る為に溝を渡して上がる橋が幾つかあり、実は佐川町の街づくりは水と深いつながりがあるんではないかな、という声が参加者からも聞かれました。

この10年の間、イタリアでは「南」の豊かさの上に築かれた文化に対して都市化した「北」の人々が憧れる、という動きがあるとのことです。食と自然に恵まれた高知にも同じ底力があるのではないか、と希望が湧いてきました。

ヴェネツィア カ・フォスカリ大学
ボナヴェンオゥーラ・ルペルティ先生の講演会が高知県立大学で開催されました。

5月の定例会でヴェネツィア大学の留学生と楽しい時間を過ごしましたが、この留学生が高知に来るきっかけを作ってくださったルペルティ先生が、7月24日に高知県立大学で講演会と公開授業をされました。

講演会のテーマは「イタリア演劇の観点からみた日本の伝統演劇」で、西洋演劇と能の違いを分かりやすく説明してくださり、感情を演技で表現する能と、詩や音楽にして表現するオペラとの違いをビデオを使って説明をしてくださいました。留学生に会ったとき、日本語をとても上手に話し、書くことに驚いたのですが、ルペルティ先生の日本語を聞き、納得!しました。

Il Giorno del'espresso italiano
“イタリアエスプレッソの日”って知ってた?

イタリアのコーヒーといえば「エスプレッソコーヒー」をすぐ思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。 なになに、ご自宅にエスプレッソマシンをお持ちで、自宅Caffeを楽しまれてる?すごいです!

ところで、このエスプレッソって実は1906年4月16日、ミラノで開催された万博で表記されたのが始まりとされ、これにちなんで4月16日を「イタリアエスプレッソの日」と制定されたとか。

日本ではIIAC(Istituto Internazionale Assaggiatori Caffe)国際カフェテイスティング協会が、より多くの人に広くイタリアエスプレッソを楽しんでもらうための記念日として東京を中心にいろいろなイベントを予定しているようです。

このイタリアエスプレッソは、ゲーテも訪れたといわれるローマの「カフェグレコ」がコーヒーの量を3分の2にして価格を下げ、多くの客に受け入れられたことがデミタスカップ(イタリア語ではTazzina)の起源とか。(へ〜、そうだったのか・・・。) 語源は、「急速」と「特別にあなただけに」、「抽出する」という意味の動詞の過去分詞形から派生したとする説があるようで、「急速」のイメージが強く関わっているいるのでは? ちなみに、イタリアでは鉄道用語でエスプレッソは「急行」さしますが、なにごとも「急」ということですかねぇ・・。イタリアの人たちのイメージがちょっと変わったような気がします。

イタリアのクリスマス
Natale in Italia

イタリアのクリスマスについて簡単にご紹介!




◇過ごし方

仕事はお休みとなり、離れて暮らす人もこの日ばかりは家族のもとで過ごすようで、イタリアでは次のように言われるようです。

Natale con i tutti,Capodanno con chi vuoi. クリスマスは家族と、新年は好きな人と 日本とは逆ですね!

◇お菓子

パネトーネ Panettone

ミラノ生まれの、ドライフルーツを混ぜて焼き上げたクリスマスケーキ。

パンドーロ Il Pandoro

ヴェローナの、星型のクリスマスケーキ

トローネ Torrone

シチリアがアラブの植民地だったころに伝わったシラクーザ発祥のヌガータイプのお菓子。

◇クリスマスの飾り

プレセーピオ(Presepio)

キリスト降誕の場を人形で表現した模型。教会やいろいろな場所に飾られています。 この時期に旅行された方ならきっとどこかで出会っているはず!

イルミネーション

中心街の道路の上や建物は、電飾で飾られ、多くの広場にはクリスマスツリー(Albero di Natale)が飾られています。

ミラノでもガレリア(Galleria Vittorio Emanuele Milano)やドゥオーモ前広場は、今年も美しい光で飾られているようです

イタリアにおける滞在税 (imposta di soggiorno)

ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアで宿泊される場合、滞在税が徴収されることになったとのことです。 徴収額は、各都市により異なります。

◇ローマ市(2011年1月1日より)

最長10泊までの宿泊について徴収対象。 1泊につき1〜5ユーロ/人

◇フィレンツェ市(2011年7月1日より)

最長10泊までの宿泊について滞在税が徴収されます。 1泊につき、1〜3ユーロ/人

◇ヴェネツィア市(2011年8月24日より)

最大5泊まで、宿泊施設の所在地によって3つのゾーンに区分されランク、滞在期間によって課税額が細分化されているようです。

ヴェローナでルカと会う旅


一年前、ヴェネツィア大学の留学生が三ヶ月間イタリア語のレッスンに顔を出してくれていたが、欠席ばかりの私はルカに2回くらいしか会っていないように思う。にもかかわらず、ヴェネツィアへ行くことを伝えたら、ヴェローナへぜひ来てと言ってくれたのを真に受けて(まあ、日本人ならお愛想半分(笑))予定になかったヴェローナを急遽入れた。言わばおまけで訪れたヴェローナが、ルカのおかげで忘れがたい大好きな町になった。 今回の旅行は、まず憧れのヴェネツィアで、現在スペイン留学中の娘と待ち合わせ。夢のような別世界の町で、ひたすら食べる全てがおいしい!!! イカ墨パスタも、ジェラートも、十分堪能し、少しは観光も(笑)と入ったドゥカーレ宮殿の中は息を呑む大作と煌びやかな装飾、がそこから牢獄につながっている驚き!鐘楼から見渡すヴェネツィアの町の美しさ!入り組んだ小道をわくわくしながら歩く三日間のヴェネツィアに後ろ髪引かれる思いで列車に乗りヴェローナへと向かった。

ヴェローナの駅にはルカが車で迎えに来てくれた。初対面の娘とも会話がはずむ。なにやらヴェローナの方言とスペイン語が似ているらしい。ルカのヴェローナ案内はすばらしかった。きれいめのコロッセオのようなアレーナ円形劇場(ここで観るオペラが最高とステファニー先生も大絶賛)を通って街をぬける。町全体が世界遺産というヴェローナ!歴史の重みの中に洗練されたモダンさもある美しい町だ。前日から始まった北イタリアのバーゲンを横目に(ミーハー丸出しもできず)ジュリエットの家で、お決まりのジュリエット像の胸をさわって記念写真。この店のこのジェラート、ヴェローナで一番おいしいよ!エスプレッソ飲むならエルベ広場に面したこのカフェが一番!おなかすいたらここのバルで!!と完璧な案内で、観光、おいしいもの、お土産、全てをゲットした私たちは大満足。ルカと娘もすっかりうちとけてネイティブしか使わないイタリア語を言い合いしたりして大笑い。

何もわからずヴェローナへ行ったなら、ただ通り過ぎるだけだったいろいろな町の顔を、ルカのおかげで知る事ができた。何倍も何十倍もヴェローナが好きになった。なによりルカの、自分の町のすばらしさを相手に知ってもらいたい、好きになってもらいたいという気持ちがひしひしと伝わってきた。発車10秒前のミラノ行きの列車に、別れもお礼もそこそこに飛び乗り、ルカとヴェローナに別れを告げた。

「日本人はどうして英語しかしゃべらない?」と聞かれたことがある。旅をしてその国の言語を話すのは、相手に対する尊敬の気持ち、あなたの国が大好きですという意思表示になるのではないだろうか。いつも旅行から帰ったら思うのだが、、、今回も!イタリア語勉強しよっっっっと!!!

ヴェネツィアで留学生達と再会



去年の9月上旬、一週間の日程で姉・北村香奈江と一緒にヴェネツィア→ベローナ→チェゼーナ→ロンジャーノ→ラベンナの北イタリアの街を巡る二人旅に行ってきました。事前に姉がイタリア語勉強会でお世話になったヴェネツィア大学の学生・ルカに連絡したところ、ルカ・ダニエレ・マルティナの三人と再会することができました。土佐弁について調べていたルカは坂本龍馬の絵がついたTシャツを着ての登場。土佐人の私達は大喜びです。

試験前の忙しい時期なのに、私達をヴェネツィア大学東アジア学科に連れていってくれました。小運河を散策しながら大学へ・・・そこでなんと彼らを担当しているボナヴェンツーラ教授を紹介してくれ、研究室にも入れていただきました!とても流暢な日本語を話される教授は日本文学の中でも特に演劇を研究されているとのこと。研究室の中には日本の大学の国文学の研究室にいると錯覚してしまうほど、日本の古典関係の書籍がたくさん。そして、教授の案内で大学の中を見せていただけることに・・大学の建物は大運河からは奥まった所に入った小さな運河のほとりにある商人の屋敷を改築してつくられたということです。教授の話では、木材の取引で財をなした豪商の家だったらしいのですが、大運河沿いに家を持てるのは由緒ある家柄の人だけで、いわゆる成金だった一族は運河の奥まった所に家をたてるのが風習だったということです。壁に描かれた絵画が当時の面影を残しています。図書室には最新式の機材も装備され、学生達は静かに勉強しています。こんな素敵な建物の中で勉強できるイタリアの学生達がうらやましい・・・

大学を後にし、昼食を食べようと大学の近くの広場に。学生達がよく集う広場とのことで、観光客で賑わう中心とは少し離れ、ヴェネツィアの生活のにおいが肌で感じられました。最後にお勧めのお菓子屋さんにも連れていってくれ、ヴェネツィアのおいしいドルチェも満喫!!とても楽しい学生達との再会でした。私達のために時間をつくってくれ、また、教授に紹介してくれたルカ達三人に感謝の気持ちでいっぱいです。

Massimo & Marina Succi さん

すっかり東京の生活になじまれたようです。イタリア語のレッスンや料理教室・歌などを通して八王子の皆さんとも交流を深めていらっしゃるとか。イタリア同好会・八王子支部を作らなければ、とおっしゃっています。 マッシモさんは、ローマ市、ラツィオ州の観光業協会の機関誌Roma&Lazioに東京から記事を送っているそうです。記事はインターネット版で見ることができます。http://www.ebtl.it/roma-e-lazio.htmlでホームページを開いて左下のRIVISTA ANNO 2009をクリック。LUGLIO-AGOSTO2009を選択すると2009年7・8月号が閲覧できます。東京で開催された世界旅行博の記事があります。その中にマッシモさんのレポートがあります。2010年1・2月号には東京のレストラン≪HOSTARIA Er Campidojo≫のオーナー、吉川敏明氏へのインタビュー記事が掲載されているそうです。1960年代にイタリアで料理の修業をした草分け的名シェフ、「イタリア料理教本」の著者です。マッシモさんによると、彼の料理は本当の「ローマの味」だそう。上京する機会があったら一度味わってみたいですね。この記事はまだネットでは閲覧できないようですが、次々にアップされていくようですので、ご興味のある方は時々覗いてみてください。

Dario Ponissiさん、絵金の町を取材!

当会10周年祝賀パーティにお越しくださったダリオ・ポニッシさんが、7月来高されました。

これは、NHK国際番組「OUT&ABOUT」の取材のため、香南市の絵金蔵や絵金祭りに上演される歌舞伎の練習風景(写真)、宵宮祭など訪れました。 この番組は、12月の日曜日の夜中、BS1で放送されました。

現在、ダリオさんは演出家として活躍中!今年Dario Opera Company Guild(D.O.C.G) & Accademiaを設立され、10月には旗揚げ記念第1回オペラ公演を開催されたとのことです。

また、当会のことも覚えてくださってて、「皆さんによろしく!」とのことでした。 約6年前と変わらずやさしさいっぱいのダリオさんでした。


イタリア体験 「うそっ、これがシエスタ!」

バカンスシーズンが終わろうとしている9月、南イタリアを旅してきました。滞在は、カンパーニャ州でナポリの次に大きな町、サレルノです。ここは、アマルフィやポジターノへ、船で30分ほどで行くことができる場所とあって、バカンス客の多い町でした。

そんな町で私は「シエスタ」というものに出会いました。イタリアに「シエスタ」があることは知っていましたが、これまでの旅では、さほど気にする必要もなく過ごすことができたせいか、「えっ!うそっ!!これがシエスタ!」とボーゼン。"BAR"までも閉まってしまうのです。まるで漫画によくある、路上を新 聞紙の破片がさびしく風に飛ばされている様子そのものでした。

しかし、午後5時を過ぎるとどこからともなく人が湧き出てきて、いつの間にか人をよけることもできないくらいの状態になるのです。もっと南へ行くと、シエスタの間は人に会うことも難しい町もありました。しかし、夕方になると一変。どこにいたの?と不思議に思えるくらい活気のある街となるのです。

そして、イタリアの夜の長いこと。日付が変わろうとしているころとなっても、まったく人の少なくなる気 配がしないのです。教会前の広場ではコンサートが夜中まで開催されたり、夜中の12時ごろ突然「ドーン!」という花火の打ち上げられる音がしたり、とにかく遅くまで賑わっていました。昼間の暑い時間帯をさけて、午前中と夜に活動する、日本では考えられないことですが、身体にはよいのかもしれません。 ただ、田舎の町を訪れるときは、シエスタにはご用心!昼食を食べそびれる可能性大!



マッシモさんご一家が2009年4月、東京へ引っ越しされました。

マッシモさんからのメッセージ

皆様、私たちはこの4月、7年を過ごした高知を離れ東京へ引っ越すことになりました。

2002年2月にローマから参りました当初は、これほど日本の皆様と親しい交流ができるとは思ってもいませんでした。これもイタリア同好会の皆様のおかげです。同好会の活動に参加することによって懐かしい祖国イタリアを身近に感じることができました。また、私たちも皆様に、イタリアの典型的な家族の長所、短所をお見せすることができたのではないかと思っています(もっとも、イタリアにはもっと素晴らしい家族がたくさんいるでしょうが!!)。

芋ほりやミカン狩り、ピクニック、パーティー、優秀な生徒さん達とのイタリア語のレッスン、そして創立15周年記念祝賀会などご一緒させていただいた行事のことを忘れません。皆様が分け隔てなく、友達のように接してくださったことは、私たちがホームシックにかかり寂しいと感じている時に、とても大きな力になりました。

聖書に次のようなことばがあります。「あなたがたを受けいれる者は、私を受けいれるのである。私を受けいれる者は、私をおつかわしになった方を受けいれるのである。私の弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。

私たちは皆様が受け入れてくださったこの「小さい者」です(私たちは日本では言葉もわからない子供のようなものですから)。

皆様ほんとうにありがとう! 皆様との美しい思い出は、荷物に詰めてどこまでも持っていくことにします。 東京でお待ちしています。さようなら!

マッシモ、マリーナ、マルコ、アドリアーナ、マヌエル

(原文)

Saluto della famiglia Succi agli amici dell’ associazione “Amici d’Italia di Kochi”

Cari amici dell’ associazione, dopo sette anni passati a Kochi ad aprile ci trasferiremo a Tokyo..

Quando nel febbraio 2002 siamo arrivati da Roma, non immaginavamo proprio che in questa citta avremmo incontrato, grazie alla vostra associazione, tanti amici giapponesi con i quali poter scambiare tante esperienze.

Grazie a voi abbiamo potuto partecipare a molte iniziative che ci hanno fatto sentire sempre vicino la nostra cara Italia. Da parte nostra speriamo di avervi fatto conoscere, in modo diretto, i pregi e i difetti di una famiglia tipica italiana(ma in Italia ci sono tante famiglie meglio di noi eh)!!!

Non dimenticheremo le feste e gli incontri a cui ci avete invitato, la raccolta dei mandarini, i pic nic, le buonissime cene, le divertenti lezioni di italiano con le bravissime studentesse (e studenti) e, ultimamente, la bellissima festa del quindicesimo anniversario della nascita dell’ Associazione.

È stata molto importante, per noi, nei momenti di solitudine e nostalgia, la vostra disponibilità con cui ci avete accolto senza pregiudizi, facendoci sentire vostri amici. Nel Vangelo Gesu dice “Chi accoglie voi accoglie me, e chi accoglie me accoglie colui che mi ha mandato. ….E chi avrà dato anche solo un bicchiere di acqua fresca a uno di questi piccoli, perché è mio discepolo, in verità io vi dico: non perderà la sua ricompensa”.

Noi siamo quei piccoli (perche qui in Giappone siamo come bambini: non parliamo bene e capiamo poco) che voi avete accolto: grazie davvero!

Metteremo nelle nostre valigie questi bei ricordi e li porteremo dovunque con noi! Salutiamo tutti con tanto affetto e vi aspettiamo a Tokyo!!!

Massimo, Marina, Marco, Adriana, Manuel

マウロさんお引越し!


定例会に何度か参加してくださり、イタリア語勉強会で講師をしてくださっていたマウロさんご一家が、愛媛県新居浜市に引越しをされました。四国内ですから機会があれば、またお会いしたいですね!

パーチェの旗 −イタリアの草の根運動−

 「6月初め、ローマのテルミニ駅近くの『共和国広場』を、虹色の巨大な旗がゆっくり進む。長さ20メートル、幅10メートル余り。中央に『パーチェ(平和)』と書かれた旗の周りを市民や学生が少しずつ持ち、大きな集団に膨らんだ」(高知新聞04年7月27日)

 これは、ブッシュ戦争に抗議する、草の根集団「平和のテーブル」を中心にした、15万人の静かなデモです。

 イタリアでも、多くの市民がイラクの戦争に反対しているようです。「平和のテーブル」の代表フラビオ・ロッティも、「パーチェの旗」を考案し、運動を支えるアルド・カピティーニもペルージャ出身。毎年、ペルージャからアッシジまで平和行進が行われ、平和を説いた聖フランチェスコゆかりの大聖堂で、ローマ法皇ヨハネ・パウロ二世が「平和の祈り」を捧げるそうです。この8月には、「平和のテーブル」の主催で、シエナまで平和行進が行われるようです。

 「攻撃の手段や国際紛争の解決方法として戦争を拒否する」イタリア憲法11条の非戦条項です。「平和のテーブル」は、この精神をEUの憲法に盛り込む努力をして、ある程度の成果を得ているようです。


 詳しくは、高知新聞04年7月27日16面(全面)「全球化を生きる」 「地方から『非戦』を目指す:平和行進−イタリア−」を参照して下さい。

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